top of page

#6. つまり究極的に言うと、「楽しいかどうか」ということ(1)

若手鍼灸師の活躍をクローズアップする「レボLABO!」 第六弾は、教員として鍼灸師の養成にたずさわりながら、NPO法人の立ち上げ、Facebookグループ「鍼灸×海外」の主催などなど・・・業界内外で多様な活動をされている、山川義人(やまかわ よしと)さんにお話を伺いました!

白石: 最初に、鍼灸師に至るまでの道のりをお聞かせください

山川: 自分は母子家庭の長男で、弟がいるんだけどね。小学生の時に母子家庭になったっていう背景があって、社会環境的に、他の人と求められていたものが少し違うんじゃないかなって思ってる。

「幸せってなんなのかな」みたいなこととか、「人生の意味って」とか、そんなことを早めに考えるような子だったと思うよ。端的にいうと、早熟であった、というかね。

白石: そうなんですね。学生時代はサッカーされてたんですよね?

山川: 学生の頃はサッカーをしてたけど、それ以外にもやんなきゃだめじゃんって、思ってた。一家の大黒柱として、というような、父親的な役割を求められていて、あんまり子供でいられなかったかな。「人生ってなんぞや」というようなことを、考えていた少年時代だったな。

大学では哲学を専攻するんだけど。高校の社会の時間に、倫理の授業が楽しかったというのが一つの理由。もう一つは、海外の大学では、専門分化する前に「リベラルアーツ(一般教養)」をしっかりと学ぶんだけど、日本の大学では、やらないわけじゃないけど数単位しかないんだよね。

それは、戦後の経済復興の中で、短期的にスペシャリストを養成するために削ってきたという歴史的背景があって。だから非常にコンパクトになってるんだけど、いかんせん、「人間とは」「人生とは」「幸せとは」という部分が、日本人は抜けてると思う。

そういうこともあって、海外の人たちとディスカッションできない、自分らしい主張ができないという問題が指摘されている。そういうことを、当時、高校生くらいで考えていたかな。

だから、いずれ専門分化していくとしても、しっかりと教養科目を勉強したいっていうのもあったんだよね。

国立大学に行くんだけど、自分は、どれかに特別にって感じじゃなくて、すべてのことをある程度ってタイプだったんだよね。もともと、ゼネラリスト型。

私たちよりも一世代前くらいは、文系か理系か、しっかり別れてる感じだったんだけど、私たちくらいの世代から、両方とも、みたいなのが出始めたころで。そのはしりが慶応のSFCとかね。学術横断的な、文系も理系も関係ないよね、というような。自分もどっちかというとそういうタイプだったから。

その時から、医療とか天文学とかに興味があったんだけど、そういう専門的なものを学ぶにしても、もうちょっと一般教養をしっかり勉強してからがいいなと思ってたから、哲学を専攻したんだよね。転学すればいいや、と思ってたんだけど、大学入ったら遊んじゃって、受験勉強は嫌になっちゃったんだけど。

白石: 大学時代はどうでしたか?

山川: 大学時代は、遊んだねー。サッカー・サーフィン・スノボ・バイト…。「代返お願い!」って、そんな感じだよ。今はICカードとかで、代返って出来ないんだよね?笑

哲学ってあんまり人から学ぶものじゃないというか。本を読んで、自分で考えて、もちろん疑問に思うことは先生やクラスメートとディスカッションすることはあるけど、基本的には人からなにかを教わるということとは少し違う感じだったかな。

白石:なるほど・・・哲学科ではどんなことを勉強してたんですか?

山川: 私は、「生命倫理学」とか「脳死臓器移植問題」とかに興味があったね。専攻はドイツ観念論で、卒論はニーチェだった。今思い返してみて、卒論書いたのは20年前くらいだけど、思いとしては今も変わらないなという気がするね。今、2度目のハタチを迎えて、その頃に書いた卒論を、今でも、「確かにそうだな」と思ってるから。

白石:卒論の内容、気になります!

山川:当時って、2000年くらいなんだけど、バブルが弾けたあと、高度経済成長の中で、一元的な価値観で日本人が頑張ってた時代だった。いい学校に入れれば、いい会社に入れて、良いお給料がもらえて、という時代だったんだけど。

卒論では「価値の多元化」というのをニーチェから導出したんだよね。「もう、一個の価値観と一個の物差しでみんなが頑張る時代じゃなくない?」って。みんな、それぞれの価値観があって、そういう多様性が求められてくる時代なんじゃないの、これから、みたいな。

それを実現していくツールとして、インターネットって大事じゃん、みたいなね。そのころはwindows96が出たあとの世の中だから、インターネットが奔りだしたはじめころ。

そういったツールやテクノロジーによって、いろんな働き方、いろんな生き方、いろんな生活スタイルっていうのが作られていく時代に、これからなるよねーっていうのを、卒論で書いたんだよね。

今、そういう時代になってきてると思う。東大だから弁護士になるみたいな時代とは違ってきて、いろいろ選べるような時代になってきたから。

そういう思いがあって、卒業後はNTT(NTT東日本)で働くんだけど。NTTには、インターネット、マルチメディア、っていう社会を作っていくぞ、みたいな思いで、入ったんだよね。6年務めたかな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「山川 義人さんって、どんな人?」①

この人を一言で表すなら「鍼灸界の浮雲」

どこにでも表れて、けどどこにも根を張らない。

ぷかぷか、ふわふわ一見何をやっているのかわからないんだけど、

その高見から常に全体を俯瞰して、僕らがナニカに行き詰っている時、ソッと力を貸してくれる。

(中村優さん)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

白石: NTTではどんなことをされてたんですか?

山川: 医療情報ネットワークっていう、遠隔医療のシステムを担当して。あとはインターネットメディアの運営とかかな。

岩手の地方都市の配属で、地方の過疎、得に医療過疎を知ったし、遠隔医療も必要なんだろうなと思ったし。遠隔医療と言っても、当時はまだ画像伝送くらいで。

NTTではその基幹のシステムを作っていて、最初の1年くらいは、どんなものが必要なのかを調査するために、医師へのヒアリング。そのあと1〜2年くらいでシステムを作るんだよ。

そのあと本社に異動になって、メディア運営をしてたんだけど。これも楽しかったね。

マトリックスの世界同時公開のライブ中継を担当したりね。コンテンツ事業っていうんだけど、それまでは紙とラジオとテレビが主流だったのが、徐々にインターネットでも配信されるようになってきた時代だったから。

まだYouTubeもなかったしね。

白石:YouTubeがなかったなんて…。不思議な感じです。

山川: もうみんなにはそういう変化の実感がないよね。

そこが大きくて、君たちはもうスマホジェネレーションって呼ばれる世代なんだろうけど、物心ついたときから、スマホとか、インターネットを使えるデバイスがあった、そういう世代だよね。

その世代と、私たちの世代とかは、だいぶ違う。インターネットとかコミュニケーションに対するベースが違うからね。そういう違いはどのジェネレーションでも起こることなんだけど、私たちと君たち世代との谷間は結構大きな谷間だよね。

でも自分は、社会的な先進的なエッジの部分に、なるべく立っていたい、そうあり続けたいと思ってる。結果的にね、そこが一番楽しいところだと思ってるから。

だから、自分の今の基盤とか、自分の育ってきた環境の中だけで暮らすのではなく、違う世代のみんなと、コミュニケーション出来てるんだと思うんだよね。

それは若い世代に対してだけじゃなくて、例えば、今70歳くらいの、学生紛争とか戦後世代ってどんな感じだったかということにも興味があって、それを聞くのも楽しいし。逆に若い人たちから「今どきこんなんっすよ」って教えてもらうのもすごく楽しい。自分の庭だけで遊んでるよりも、っていう感じなんだよ。

それがないと、教育も医療もできないんじゃないかなって、私は思うんだよね。それは、「人が好き」ってことにつながる大事な要素なんだと思うんだけど。自分と違うことに興味があるってことがね。

「自分と違うものに興味がある」という人と、「自分と違うからヤダ」って考える人がいて、そこは大きな違いだよね。治療家の人たちって、特に、鍼灸をする人たちは、自分と違うということを許容していくようにトレーニングされてるから。「批判的寛容」なんて言う言葉もあるけど。

そういう意味では、この業界の人たちは、他者とのコミュニケーションのスキルが高いと思うんだけどね。

この間もある学生と話してて、「区別することと差別することは違う、でも往々にして区別が差別を生む傾向にある」、ってね。だから、物事を合理的に整理するために区別はするけど、そこから先、差別はしないっていうマインドがないといけないんじゃないかな。

そういう視座は、哲学科で学んだと思うから。

白石: 大手企業であるNTTから、鍼灸の道に進んだのは、どうしてですか?

山川: 周りで自殺して亡くなったという人が、結構いたんだよね。自分がお世話になった人が自殺して亡くなって、亡くなる何週間か前にメールが来たときは元気そうだったのに、とか。

白石: 身近な人が亡くなるって、ショックですよね

山川: 自己分析をしてみると、そういう人を僕が引き寄せてるんだと思う。そういう要素のある人たちとコミュニケーションする機会が多かったということなんじゃないかな。僕は期せずしてそうであったと思うし、そういう自分が好きだけどね。

だから死について、ショックじゃないというわけではないけど、捉え方が少し違うのかもしれない。誰かがなくなったら、悲しいんだけど、悲しいというだけではないまた別の感覚。人だから、亡くなるときは来るよね、と。

「死」というものについて、そのようにとらえてるかな。哲学とか、サーフィンを通して、そう考えるようになった。ネイチャリングスポーツだから、自然の中では約束されたものは何もない、という環境にいると、わかるじゃん。

世の中は一定ではないということだったり、均一じゃない、平等じゃないって言っても良いのかもしれないけど。そういうことを、自然から学ぶんだよね。

そうすると、あるいは、亡くなる人もいるかもしれないし、亡くならない人もいるかもしれない。

こういうことが、実感を持ってわかったのは、発展途上国に行った時だったかな、自分の場合は。先進国には、その感覚がないよね。つまり、利便性を追求するがために、電車は必ず何時何分に来ます、とか、室温は常に一定です、とか、野菜は年中同じものが食べられます、とか、そういう生産性と効率性を追求していった結果、均一化しようとするわけ。

そうなってくると、あたかも、人の健康とか人生とか生死についても、均質なように、思うじゃない。

そういうような幻想があるんじゃないかと思ってて。

だから、いざそれが起きたときに、ショックだ、と。例えば、iPhoneは壊れないって思ってると、壊れたときに「なんもできねー!」みたいなこともそうだし、電車は絶対この時間に来ると思ってるけど来ないときに「なんでだよ」って思ったりするのと同じで、「なんで死んじゃったの」「なんで壊れちゃったの」みたいなね。

白石: なるほど…。周りの方が亡くなられて、辞めることになったんですね。

山川: そうだね、自殺があって、このままじゃやばいな、と思って、てか「自分医療とかやりたかったじゃん」ということを思い出して。今からできるものあるかなと思って調べてたら、鍼灸面白そうじゃん、と。

サッカーしてたときに怪我して受けたこともあったけど、どんなものなのかと、調べて。

これくらいの金額で、このくらい学校に行ったら、独立開業権をもらえる資格らしいよ、と。頑張ればそこそこお金稼げるらしいよ、と。東洋医学というものらしいよ、と。

大学でドイツ観念論を勉強してて、西洋哲学専攻だったんだけど、隣の専攻には、インド哲学とか中国哲学とか、いわゆる東洋哲学系もいて。自分はみっちり勉強したわけじゃないけど、東洋哲学ってものを知らないわけじゃなかったから。

それまで自分がいた世界は、「西洋哲学・近代合理主義・NTT」みたいな世界で。ある種非常に合理的でシステマティックな側にいて、でも、ここで生きてる人たちはなんかあんまりハッピーじゃないぞ、と。自殺してしまう人もいるし、出世競争とか、お金がお金がーって感じだし。

「この世界観はどうなの?」って思ったときに、「じゃー別の世界観!」となって。

「東洋医学・陰陽二元論・鍼灸」って感じにシフトチェンジしたってことなんだよね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【編集後記】

NTTという大手企業から鍼灸の世界にシフトチェンジしたという山川さん。

そこでの経験があるからこそ、見えてくるものがあるように感じました。

若いころから考え続け、様々な選択をされてきたことが、今につながっているんですね。

このシフトチェンジのあと、どのような選択をしていくのでしょうか?

(2)に続きます!


Comments


Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
bottom of page