#6. つまり究極的に言うと、「楽しいかどうか」ということ(2)
若手鍼灸師の活躍をクローズアップする「レボLABO!」 第六弾は、教員として鍼灸師の養成にたずさわりながら、NPO法人の立ち上げ、Facebookグループ「鍼灸×海外」の主催などなど・・・業界内外で多様な活動をされている、山川義人(やまかわ よしと)さんにお話を伺いました!
白石: 仕事を手放すことについて、リスクは感じませんでしたか?
山川: 僕がもともといた世界の人たちからみたら、「それはリスクじゃないか」という人もあるでしょう。なぜなら、「この世界から出ていく」って言ってるわけだから。鎖国してた日本から、「俺は海の向こうに行く!」って言ってるようなもんだからね。
普通にこっちで暮らしてたら、そこそこお金ももらえるし、そこそこ出世できるでしょ、みたいなね。そういうところから、「別の世界に行く」って飛び出そうとしてるわけで、そういう観点からみればリスクしかないよね。
白石: なるほど〜・・・不安は、ありませんでしたか?
山川: 不安ね〜・・・・「不安感」っていうのは、モチベーションなんだよ。それは、「あ、やばいな」とか「大変だな」という現状認識をどこに持っていくか、っていう問題だと思ってるわけね。
不安がなければ成長しない、と思ってるわけ。
僕の言ってる「不安」と白石くんが言ってる「不安」を、同じ「不安」と呼んでいいのかわからないけど、「不安感」とともに、チャレンジなんだろうね。
それを自分は、「ドキドキ」っていう言葉で現してるんだけど。
擬音語にする「ドキドキ」ってのは、ある一面からみると、「不安で胸がドキドキする」ってことなんだけど、もう一方の側面は、「チャレンジに対してワクワク・ドキドキする」っていう、ポジティブなドキドキもあるじゃない。そこをうまくスイッチできるか、シフトチェンジできるか、っていうのが大事だと思ってるんだよね。
特に教育において言えることで、「勉強ができない」とか「大丈夫かな」っていう、そういう不安感をうまくシフトチェンジできれば、成長につながるんだけど。それがシフトチェンジ出来ないと、「どうしよう〜」っていうふうに、下に入ってっちゃう。
でもそれよりももっと良くないのが、「不安感がない」って状態ね。それはやっぱり、成長していかない、動機づけにならないからね。そういう意味では、常に「やばい」って言ってる人が一番いいんじゃないかな。やばいくらいが丁度いいと思うよ。
20代後半〜30代前半くらいで自殺しちゃう人が多い理由もそこにあって。脳は刺激を求める臓器で、それは他の臓器と明らかに違うことなんだけどさ。ある種の刺激が入ってないと、脳の機能っておかしくなっちゃうわけ。
子供のときは、6年3年3年4年って環境の変化があって、常に一定の刺激が一定のタイミングで入るんだよね。その刺激によって、脳は活性化するし、成長していく。そしてその変化が不安感を生むから、成長していくんだよね。
それが就職したあとって、一定化しちゃうわけね。ずっと同じ治療院、ずっと同じ病院で働く。毎日同じことの繰り返し。マンネリ化してきて、脳機能が落ちることによって鬱になると言われることもある。
僕がシフトチェンジしたのも、そういう20代後半だったから。自分もそういう、刺激がちゃんとあるチャレンジをしないといけない、とね。
だから、そういう意味では、70歳でも80歳でも「やばいよ」って言ってる人が一番いいんじゃないかな。
白石: 言葉の定義のお話、とても面白いですね。
鍼灸に行こう、となって、学校選びはどのようにされたんですか?
山川: 岩波新書から出てる「鍼灸の挑戦」って本を読んで、学びたい先生を見つけたんだよね。
当時、均一化して合理的な東京という街を、僕はあまり好きじゃなかったんだよ。今はそんなにきらいじゃないけど。
東洋医学とかは、自然とともにある医学だと思ってるから、東京で学ぶべき医学ではないんじゃないかな、とも思っていて。大学4年間は仙台にいたし、仕事でも岩手にいたから、そういう田舎の学校がいいなーと思っていて。
「鍼灸の挑戦」を読んだら、川嶋 和義先生という方が岩手県の学校にいることがわかって、その学校に進学したんだよね。小岩井農場の隣りにある鍼灸専門学校で、ちょっと歩いたら牛がいる、みたいな環境だった。
白石: そんな経緯があったんですね!専門学校時代はいかがでしたか?
山川: 専門学校に通い始めてから、学校の先生に「君、先生になったらいいんじゃない
」って言われたの。で、確かに、教育にも興味があったぞと、思い出して。先生の道もあるんだ、と。
そんなことがあって、「教える」ということにも興味と楽しみがあったので、学生時代は先生のアルバイトしてたね。塾と家庭教師と。効率いいし、お給料もいいしね。
学校は、きつかったねー。川嶋先生厳しかったしね。赤点も取ったし、再試も受けたよ。もう30近かったから、10代の頃のようには覚えられなかったね。全然優等生じゃなかったよ。
東洋哲学においては易学とかちゃんと勉強すればそれは天文だから、結果的に、医療・教育・天文っていう、自分が面白いと思ってたものすべて取り扱えるようになったから、教員養成科に進んだんだよね。
白石: 教員養成の学校はどうやって選んだんですか?
山川: 教わっていた先生のアドバイスと、実家からの距離で決めたね。養成科の2年間は、臨床についてのバランスの良い授業、という感じだったね。もちろん教育についても学ぶんだけど、臨床のアドバンス的な内容を学習して実践する、って感じかな。
白石: 鍼灸師として仕事もされてたんですか?
山川: 鍼灸の国家試験の予備校、っていうのがあってさ。そこで講師のバイトをして、あと、往診もしてたよ。実家だったから、口コミで紹介してもらったりして。教員養成課程の1年目のときに初めてネパールに行ったんだよね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「山川 義人さんってどんな人?」②
知的で面倒見のいいみんなのお兄さん的な存在です。本当に顔が広く頼りになる先輩です。
困った時には是非しましょう。
この人は困っている人をほっとけないのです。(小林哲也さん)
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白石: ネパールには、どのような経緯で行くことになったんですか?
山川: 学校で先生が「ネパールの無医村を回って活動してる日本人の鍼灸師がいる」ってことを紹介してくれて。自分もそういう活動がしたいなと思ってね。
純粋に、そういう活動に対する、憧れや興味があったんだよね、子供の頃から。アフリカの難民支援とか、国際協力とか、そういうことには小さい頃から憧れがあった。
それから、30過ぎて、脱サラ鍼灸で、みんなと同じことをやってても自身のオリジナリティが作れない、っていうのも理由の一つだね。自分のオリジナリティをどう作っていくか?ってなったとき、人がやらないことで自分が興味あることが、オリジナリティとブランドを最も発揮できる、という思いがあった。
その2つの理由で、ネパールでの活動に興味をもったんだよね。
白石: ネパールに行ってみて、どうでしたか?
山川: カルチャーショックはあったよね。それから、医療が十分にない、ということも、学んだね。その中で、自分ができることはなんなのか、ということも。
日本の鍼灸にできることがまだある、って思ったね。そしてそれは、国内で期待される以上の期待が世界にはあるかなって思ってる。
卒業してからも含めて、ネパールには7・8回行ってるね。自分自身の経歴を振り返ってみて、いろいろな世代のいろいろなチャレンジを応援する、というのが、今の自分のミッションだと思ってるから、いろいろな人たちを自分のできる範囲で応援してる。プロモーションのお手伝いしたり、アドバイスをしたり。
白石: 海外での活動以外にも、NPOを設立したりいろいろなチャレンジをされてきていると思うのですが、どんなことを大切にしていますか?
山川: 楽しいかどうかだね。やってて。だから、一貫したストーリーは作りづらいと思うんだけど。つまり究極的に言うと、楽しいかどうか、ということなんだよね。
途上国も行ったし、自殺した人達も見て、「今日という日は今日しかない」と思ってるから、だから、今日楽しくなければ、という感じだよ。
会社辞めたときに、そういう生き方を選んで生きてるから。
有名な治療家の先生方もそうだと思うんだけど、「これが楽しい」ってのが明確にあると思うんだけど、自分はそれがいっぱいあるタイプって感じ。子供なんだよね、単純に。あれもこれも楽しいなって。そうでありたいと思ってるしね、自分で。
白石: ゼネラリスト型、ですね。チャレンジしてみて、やめたこともありますか?
山川: やってみてやめたこともあるんじゃないかな。けど、楽しいと思うことばっかりやってるじゃん、その時楽しいじゃん、多分明日も楽しいじゃん。だからね、過去の楽しいことをあんまりメモリーしてないのよ。
そのときは楽しいんだけど、その楽しいという記憶をあんまり持ってないの。別に毎日楽しいし、毎日ドキドキだから。
て、やると、すごいテンション高い人って感じになるけど、そうでもないんだけどね。
白石: 確かに、テンション高い人!って感じとは、違いますよね。
山川: でしょ?でも、自分が楽しむということが、間接的に、誰かを楽しませることであり、誰かに役立つことであることが、人間として大事だと思うね。
それがなかったら、一人で箱の中で楽しんでればいいわけでしょ。ゲームしてれば良いわけでしょ。その楽しいとは違うからね。自分が思う「楽しい」っていうのは、結局「誰かと何かをする、楽しい」なんじゃないかな。
誰かの役に立つから、より楽しいんだよ。で、その誰かが誰かをまた喜ばせたり楽しませたりするわけでしょ。ペイ・フォワード的な概念。誰かと何かをするから生まれる楽しみってのが毎日刺激になって、毎日が面白いんだよね。
それが、僕と一緒にいる人にとっても、新しい何かになっていってくれるってことが、一番ハッピーなことだから。
白石: 私達もいつも応援していただいてますが、「若手の応援」というのが、今先生のキーワードなのかな、と感じています。その点はいかがですか?
山川: 自分はもう社会的には中間層なんだよね。上と下をどう繋いでいくか、上の遺産を継承し、下にどうパスしていくかという世代。だから、若手を応援する、先輩たちも自分たちにそうしてくれたように、自分もみんなにそうしたい。
その時の応援の仕方が大事だと思っていて、それは決して、スポイルするとか否定するとかいう応援じゃなくて、自由にやらせる、そういう応援が必要だと思っていて。世代が違うことで、みんなの価値観が自分とは一致しない場合が多いから。
これはでもね、中間層全体に言えることだと思う。任せるということができないといけない。
自分は「若手を応援してます!」ってよりは、若手を応援することによって、自分が楽しんでます、って感じ。それが自分の役割だと思ってるけど。表現が難しいね。
結果それが自分が一番楽しいことなんだよね。献身的なボランタリーみたいな、そんな感じは全然ない。結果、自分が一番たのしい!って感じだから。
若いがゆえに、足りないものがあるじゃない。知識であるとか技術であるとか、コネクションであるとか、そういう足りないものを支援することで、みんながやりたいことが実現されていくと、自分自身が一番楽しい、っていうこと。
そこだよね。そこ大事かな。それはスタッフ教育でも、生徒の教育でも、なんでもそうだと思うんだけど。
白石: ここもやはり、「楽しい!」という基準に即してるわけですね。
そんな先生が、これからの鍼灸にワクワクしていることは、ありますか?
山川: これからの鍼灸業界、という観点じゃゃないんだよね。「わたし」を構成してるものの一つが鍼灸というだけで、それ以外に、教育だ、ITだ、医療政策だ、死生学だ、という興味深いテーマが自分の中にあるわけ。
それをどう、社会表現、社会還元するかということだと思うんだよね。
だから、これからの鍼灸業界というテーマは非常に限定していて、ビジョンが狭いかな。
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「ドキドキ」の定義の話、とても面白いですね。
山川さん自身が楽しんでいるからこそ、たくさんの人が惹かれ、頼り、慕うのだと感じました。
(3)では、鍼灸業界について、また、「専門家」として自己を知るためにどんなことを大事にされてきたのか、
お話を伺います!
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